12月 沖縄本島の 慰霊と浄化の旅。

私が八重山諸島を知り、出会ったのは今年の最大の出来事だった
竹富島の光景も西表島の野性的な森も海もすべてが楽しかった・・・

そして これからも八重山を沖縄を旅するにあたり私の中で一度は行っておこうと決めていた地がある。

沖縄本島には 実は幼稚園の年長組のときに 鹿児島からフェリーで旅した ことがある。
ただ、記憶はほとんどない。船内で右左に大きく揺られていたことくらい
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実は 父方の祖父の顔を私は知らない。 もちろん父自身も父親の思い出はほとんどない。
父が物心つく前に沖縄に召集され
沖縄本島南部の激戦の地、南風原で流れ弾にあたって亡くなったのだ。 (役目は伝令だった)

何のきっかけだったのか、私が小学校にあがるとき父と祖母と私と妹で4人で慰霊旅行をすることになった。当時は今のように格安航空運賃なんてなかったから(母は船に激弱で行けなかった。)

父と祖母が亡くなったと伝わる地南風原の津嘉山でお線香をあげるなか
私は祖父へのメッセージを画用紙いっぱいに描いた絵とともにでお供えしたらしいのだが 
その日は晴れて暑かったのが にわかにかき曇り、パラパラと雨の雫が空から落ちてきた事だけははっきりと覚えている。 (おじいちゃんが きっとうれしくて泣いてるんだ!)て思ったのも。

ターニングポイントを迎えたことで おじいちゃんに再会しに行こうと思った。
もしかしたら 摩文仁の丘の平和の礎に刻銘されているかもしれないということで、その確認も兼ねて。


前日までは 沖縄も今年一番の肌寒さだったらしく、また前日までストライキ予告がされていて
少々不安な出だしだったが、結局ストは回避され那覇に到着したら雨もあがり、晴れ間もでて
天気が回復してきた 。そのまま糸満方面に車を南下させ、平和祈念公園へ。
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沖縄南部は穏かな光が差し込んでいてとても心地のよい所
そんなところに数十年前 海を軍艦が取り囲み、砲弾・爆撃で、人々が悲鳴をあげて逃げ惑っていたなんて ただただ哀しくなった。 平和の礎に到着し 祖父の名を検索したら 該当。
瞬間、涙がぶわっとこみあげて 「おじいちゃーん!あった~!おじいちゃん!」と泣きじゃくっていた。
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お花をもってお参りし、祖父の名前を指でたどりながらしばらく 静かに頭をたれて・・
命が尽きる意識がうすれゆくなか最後に何を思っただろう。
まだよちよち歩きだったひとりっこの父の姿を、生い先楽しみだった一人息子を思い浮かべながら命が消えていったのか・・と思うと むごくてむごくて。
そして、沖縄の人々の歴史をきちんと受け止めようと 敷地内にある資料館にも足を運んだ。
展示されている遺品・目をそむけたくなるほどの写真・動画。 でもしっかりと自分の目にやきつけた。
戦は、人が人でなくなってしまう愛しいものを引き裂くむごい事だと 改めて感じた。

当日は 北部の瀬底島に泊まることになってたので そこからいちど南風原の津嘉山を経由した。住宅地開発でかなり風景は様変わりしていたが
通過しながら目礼をして高速道路を一路 名護・本部方面へ車を走らせた
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by oosumihayato | 2011-03-01 17:15 | 北へ